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SUENAGA Blog
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【経営者必見!】業績に対する”適切な向き合い方”

業績が、良くなる・悪くなるというのは、本当に自然な理だと感じさせられることが多いです。
自然な理というのは、「悪くなるのも経営者」「改善されるのも経営者」だという意味です。経営者が経営しているから当然なのですが、「自分で自分がなかなか見えない」という人間の特質と言えることがあります。

自分で自分のやっていることがどういう結果に繋がるかが、全て分かっていることなどありません。だからこそ、自分の現在を客観的にみるためには、「鏡」「羅針盤」が必要だと思います。

自分の内面を映し出す必要性

「鏡」とは、自分の内面を映す鏡です。それは、やはり”学ぶこと”にあります。それも”優れたもの”である必要があります。
中途半端なものは逆効果です。テクニック的なものを否定しませんし意味もあります。しかし、このテーマに必要なものは逆効果です。なぜなら、見えなくなっているときに、テクニックに出逢うとテクニックだけがより進んでしまうからです。

自分の根源を考えるような機会が必要です。
日本の古典芸能である『能』の大成者、世阿弥。室町時代に能を飛躍的に高め、今日にまで続く伝統を作った天才です。
彼は人生を通して「どのような能が感動をもたらすのか」を探求し続けた、いわば”仕事のプロフェッショナル”です。芸事や作品を創るだけでなく、人間の心理に対して鋭い洞察を行い、現代のビジネスパーソンにも役立つあらゆる言葉を残しています。(ちなみに皆さんご存知の「初心忘れるべからず」も世阿弥が編み出した言葉なのです)

そんな世阿弥の能楽書の中で、「離見の見」(りけんのけん)という言葉があります。それは、演者が観客の立場にたって自分を見ること。”客観的な目線”をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のことです。
つまり、自分自身を客観視して、全体を俯瞰的に把握する力の大切さを説いています。
反対に、自己中心的な狭い見方は「我見(がけん)」といい、これによって自己満足に陥ることを厳しく戒めています。現在でも全ての演技にあてはまることとして演者から大切にされていることが「離見の見」です。¹

650年前に、世阿弥は能と言う芸の戦略的な高次化の闘いのために、凄まじいまでの離見を実戦していると感じます。
自分の今までを根底から問いかけるほどの「言葉」に出逢う必要があるのです。「何となくこうだろう..」これを言葉にする必要があります。
強く求めることが必要です。または、「今までそうだ」と思っていたことが違った意味だと分かるだけでも”大きな気づき”になります。

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考える行為=未来への意思

次に「羅針盤」、これは「計画」のことです。
世間で色々と言われていますが、私たちのこれからの時代は”常に前人未到”です。時間の最先端にいるということです。ここまで培ってきた人間の歴史に学んで、”これからの未来”を自分なりに必死で考え抜くことが必要だと思います。
そうは言っても考えれば分かるものなのでしょうか?
分からないかもしれません。しかし、考えるという行為自体が未来への意思なのです。その意思こそが、将来を計画し考えることに他なりません。未来について予測できること、推測できることは山ほどありますし、その範囲でも未来を選択できる可能性はたくさんあります。
わからないのではなく、手をこまねいていることが問題であるように思います。

(弊社代表「末永ブログ」より抜粋)

(引用)¹:https://db2.the-noh.com/jdic/2013/07/post_377.html

ここまでご覧いただきありがとうございます。